Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

その他

ストレスをエネルギーに変える

 私たちは「ストレス」という言葉を日常よく耳にします。精神医学用語では、正しくは、ストレスの原因になる事(物)を「ストレッサー」と呼びます。
 日常生活において、ストレスは無いに越した事は無いのですが、私は適度なストレスがあった方が気持ちに張り合いができて精神衛生には良いと思います。
 私は音楽が好きで、日常よくDAP(ディジタル・オーディオ・プレーヤー)で音楽を聴いたり、趣味でトランペットやギターを演奏したりします。
 DAPやイヤホンも、もっと高価で音質の良いものが欲しいと思うのですが、お金は有限です。
昔はより高級な物へと買い換えたいと思っていましたが、最近では中ぐらいで妥協できるようになってきました。オーディオ機器を考える場合、中ぐらいのものが一番コストパフォーマンスが良いと思います。とりあえず、今使っているDAPとイヤホンでそこそこ満足していますが、完全に満たされたわけではありません。この「満たされない」ということに「伸びしろ」ができ、そこを妥協するのも、ちょっと負け惜しみではありますが、なかなか乙なものです。また、お金に余裕ができた時に、いつかは買い換えたいという気持ちがエネルギーになります。
 楽器にしてもそうですが、私は安価(といっても、そんなに悪いものではありませんが)な楽器を使っていたときはよく演奏したのですが、高級な楽器を買ったとたんに、あまり演奏しなくなったという経験があります(ちょっと、あまのじゃくですね)。これは、満たされないという気持ちが演奏したいというエネルギーになった例です。本当は、高級な楽器を買っても演奏し続けるという健全な心が一番良いに越したことはありませんが。

それでは、また。

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ダンス!ダンス!ダンス!

 村上春樹の小説に「ダンス・ダンス・ダンス」という題名のものがありました。
私もかなり昔に読んだので、内容は忘れてしまいましたが、「事の有意義か否かは考えずに、とにかく踊り続けろ」という意味だったと思います。
 私たちの日常生活では、無駄と思える行動や行為がかなりあると思います。私なりには、その行動や行為が建設的であれば、無駄ではなく有意義に思えるのですが、その行為そのものが楽しく思えれば、それはその人にとっては有意義なものなんだと思います。
 私は最近、スマートフォンでのゲーム(特に反射神経ゲーム)をやりません。ゲームをやって頭を鍛えたり、頭の老化防止に役立てるのが目的なら有意義かと思いますが、私ならその時間を使って読書をしたり、情報を収集します。
 私は趣味でトランペットやコルネットを演奏しますが、演奏することは私にとっては楽しいものです。楽器の演奏自体は建設的なものではありませんが、より良い音を出せるように練習したり、もっと上手く表現できるように練習することは、建設的なことだと思います。
 私たちは人間ですが、動物の一員であり生き物です。生きるためには体を鍛えたり、運動する必要があります。そのように考えると一見無駄だと思えるようなダンスでさえ、有意義な事かもしれません。なにしろ、体を動かすことは楽しいです。
 心と体が喜ぶことは、生命にとって良いことなんだと思います。

それでは、また。

今月の曲
「風の便り」(オリジナル)

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吸収することについて

 今日のテーマは「吸収することについて」です。
この「吸収する」とは、知識等を吸収する意味ではなく、物事を行うときに「自分がクッションになる」の意味です。
 仕事をしているときは、部下が上司にいろいろなことを報告します。報告で大切なことは、「事実」と「自分の意見」を明確に分けて、事実のみを報告することです。意見は報告事項とは別に述べます。ただ、事実のすべてを報告するのではなく、別に隠すわけではないのですが、自分がクッションになって枝葉の部分を処理して、幹の部分のみを報告する場合があります。
 先日、家庭のエアコンが老朽化して、買い替えを行うために私が電気店に行きました。そのエアコンは広告(ちらし)には24回払い分割手数料無料と書かれていました。妻は24回払いの分割手数料が無料ならば買うと言っていました。電気店に行ってみると、店員さんが「今は1万円引きのキャンペーンを行っているので12回払いまでしか手数料が無料になりません」と言いました。そこで私は店員さんに広告(ちらし)を見せて、「1万円引きはいらないので、広告のとおり24回払いの手数料を無料にしてください」と交渉しました。交渉は成立しました。
 その日は妻に、そのような交渉があったことは伝えなかったのですが、後で伝えました。このようなことが「自分がクッションになる」ことだと思います。
 古い演歌で森進一の「おふくろさん」という歌の歌詞には「世の中の傘になる」という表現がありました。これもある意味「クッションになる」ことだと思います。
 自分がよいクッションになって、家庭や仕事がうまく回ると、自己満足ではありませんが、充実感を感じます。

それでは、また。

今月の曲
「悲しいほどお天気」(オリジナル)

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印象について

 あるセミナーで、人は他人を評価するときは、事実ではなく印象で評価していると教わりました。印象には良い印象と悪い印象があります。
 過去にテレビのCMでわざと「悪い印象」を与えて効果を得るものがありました。この場合、このCMを見た人は嫌な気分になりますが、強い印象を与えるという意味では効果的なのかもしれません。
 人は他人に良い印象を与える人は他人に好かれ、悪い印象を与える人は他人に嫌われる傾向があります。良い印象は良い気分を「与えて」くれますし、悪い印象は良い気分を「奪い」ます。人は与えてくれる人に好意を持ちます。
 先日、私は仕事で次の人の休憩の交替時間を5分早く交替してあげました。たった5分早くしただけで、次の人は「得した気分になった」と大変喜んでいました。
 人には感情があります。人は論理だけでなく、感情で動く部分があります。
仕事で書類等を提出するとき、他人よりも少しだけ早く提出すると、その人は「仕事が早い」という印象を受けます。これはある意味テクニックになりますが、良い印象を与え続けると、良い評価が受けられます。
 別に焦(あせ)って行動することはありませんが、良い印象を与え続けると、良い評価が自分に返ってきます。
これは自分が得をする賢い生き方なのかもしれません。

それでは、また

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損得を考えることについて

 日常生活で私たちはいろいろな選択をして過ごしています。
普通の人たちにおいて、その選択の基準となるのは「損得」だと思います。何か他人にあげるならば「損」、他人から貰(もら)うならば「得」です。
日本の社会においては、何か品物を貰ったならば、お返しをするという習慣があります。これで損得無しになり、調和が保たれます。
 私が思うには、何か事を成す為には、損得勘定抜きで行動しなければ、事が進まない事が多々あると思います。損得勘定をしていては、損得の狭い範囲から抜け出せません。もちろん、自分の労力(労働力)を無償で差し出せば、それは「損」になります。
 学校で生徒会活動をしている学生たちがいます。私たちの時代には、生徒会活動は、自分たちの学校の政治は自分たちで行うという、責任感においてやっていたような気がします。今では、生徒会活動をやっていると、進学に有利になるからという理由でやっている人もいます。なんだか悲しいですね。
 商売を自営でやっている人たちの中には、もちろんお金儲けは大切ですが、それよりもお客さんに喜んでもらうことが自分の喜びになる人たちがいます。これはもう、損得勘定抜きの世界です。
 人には世の中のため、他人の役に立ちたいという願望があります。これは仏教の言葉では「仏性(ぶっしょう)」と言います。もともと人に備わっている感情です。
「仏性を満足させる」と言えば、安っぽく聞こえますが、損得勘定の狭い範囲から抜け出して、より高い次元を目指すことも大切なのではないでしょうか。

それでは、また

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