Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

第六法則(余裕をつくる)

ロボット機能について

 朝、歯を磨くときに、少し寝ぼけていても歯を磨く手は自動的に動いてくれます。ある学者がこれを「ロボット機能」と呼んでいました。その記事を読む前までは、私はこれを「自動制御機能」と名づけていました。
人は動作を習慣化すると、その動作を無意識に実行できるようです。たとえ、疲れていて頭の働きが鈍いときにもその動作は実行できます。
 ピアニストが楽譜を見ただけで、自動的に指が動いてピアノを弾くことができるのも、この「ロボット機能」の応用によるものだと思います。ブラインド打ちでパソコンのキーボードを打つときも同じです。
 この「ロボット機能」を日常で意識的に行うと、いろいろな面で役に立ちます。特に、朝、寝ぼけているときや、夜、疲れているときも、動作を習慣化することで、いろいろなことができます。
 ただ、動作を習慣化していても、無意識に行動していると、判断を誤ってしまい、ミスをする場合があるので注意が必要です。
 「ロボット機能」を意識して、日常の生活に役立ててみてはいかがでしょうか。

それでは、また。

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焦らないことについて

 私は幼いころからずっと心が焦(あせ)っていたように思います。自分では焦っていないつもりでも、常に自分を急がせようとする不安につきまとわれていました。幼いころからずっと母親に叱られて育ったからかもしれません。
 中学時代はバスケットボールをやっていましたが、プレイ中ずっと焦っていて、心が休まることがありませんでした。試合ではシュート率が5割と、かなりの確率のシュートを決めていましたが、監督の先生からは「お前のプレイには常に焦りがある」と見抜かれていました。
 生活全般においても、例えば信号を渡るときにも、横断歩道まで早足でたどり着かなければ赤信号に変わってしまわないかという不安がありました。勉強でも仕事でも、常に焦りが見え隠れしていました。これでは過程を楽しむことなどできません。
 最近になって、あるきっかけがあって少し変わってきました。結果だけでなく、過程そのものを楽しめるようになってきました。
 朝、起きて出かける前の準備をするにしても、以前は時計とにらめっこしながら、焦りながら準備をしており、まったく余裕などありませんでしたが、最近では、寝る前にあらかじめ翌朝の準備を整えておき、朝になって焦らなくても済むようにしました。朝は多少ねぼけているので、準備が整っていれば、余計なことを心配せずに済み、より効率よく準備ができるようになりました。また、少し早起きすることにより、より時間に余裕がもてるようになりました。朝に心の余裕が持てれば、その日一日を心に余裕をもって過ごせるような気がしています。
 みなさんも、朝、少しだけ早起きして、心に余裕をもって一日を過ごされてはいかがでしょうか。

それでは、また。

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簡単だからできる

みなさんは、家電やパソコン等の使用説明書を見て操作するのが得意なほうでしょうか。
技術系や理科系の人ならば、説明書を見て操作するのは得意だし、苦痛が少ないと思います。
最近の携帯電話やスマートフォン等は、説明書を見なくても、ある程度、感覚だけで操作できるように作られています。
私の父親は、テレビの録画機の説明書を読んでも操作できませんでした。説明書は日本語で書かれていますし、中学生程度の知能があれば理解できる内容です。それでは何故、このようなことがおこるのでしょうか。
私はそれは「ITストレス」によるものだと思っています。
「ITストレス」とは、私の造語ですが、特にIT機器に関して必要以上に難しいと思ってしまうことにより、精神的なストレスにより頭が働かなくなった状態を言います。
小学生時代を思い出してみると、6年生の時は5年生の問題が、5年生の時は4年生の問題がやさしく感じられたのではないでしょうか。これは、1つ下の学年の問題だと「ナメて」かかれることにより、リラックスできることによるのではないかと思っています。
私も、まったく新しくとりかかるソフトウェアの操作の場合、少々構えてしまいます。でも、説明書とにらめっこする前に、とにかく自分でできるところまで操作してみると習得は早いです。この場合、説明書はわからないときのみ辞書を引くように使います。
吉田拓郎じゃないけれど、新たなことに取り掛かるときには、不安を取り去るために、まずは水を一杯飲み干して、気持ちを落ち着けてから行えばいいと思います。時間に余裕があれば、なおさら気持ちに余裕がもてます。
私が小学5年生の時に、家にピアノがあり、習っていなかったのですが初級のポピュラー曲をどうしても弾けるようになりたかったことがありました。半年かかってもいい、一年かかってもいいと思い込んで毎日練習していたら、その曲は2週間で弾けるようになりました。
人に仕事を依頼するときも、時と場合によりますが、十分な期限を与えた方が、案外早くやってもらえることがあります。十分な期限は仕事を依頼された人の心に余裕を作ります。
また、習慣化することも大切なな要素です。同じことを反復することで、複雑で難しいことも、案外簡単にできるようになります。
習慣化され簡単になったことは、楽に、間違いなく、楽しい気持ちで行うことができます。

それでは、また。

無駄も必要

この世の中、不要な物や無駄であふれています。アイディアグッズにしても、その中の約9割は実際には役に立たなかったり、無くても不便を感じないものばかりです。
ただ、この世の中の無駄な物をすべてなくしてしまうことには、私は賛成できません。
無駄な物の中にも、良い点はあります。
たとえば、テレビのバラエティー番組は無くても不便を感じませんが、意外な知識が得られたり、人の人情を知ったりすることがあります。バラエティー番組をぼーっと見ていると、心の疲れが癒されることがあります。
また、友達とする無駄話もコミュニケーションの役割を果たしますし、それで心が通い合えば、ここ一番というときに気兼ねなくお願いをすることができることがあります。
贅沢をすることも、ある意味無駄なことです。でも、より良い快適さを求めて心の安らぎが得られたり、ストレスが解消されたり、英気を養う充電ができたりします。
美術館に行って、美を追い求める芸術作品を鑑賞したり、今では贅沢とは言えませんが映画を鑑賞することも意味のあることだと思います。
ユーモア等の笑いは、心の潤滑油になります(ただし、過度なオヤジギャグはハタ迷惑になるので控え目に)。「ユーモア」とは英語では”humor”と書きますが、私が思うには「人間性」という意味にもとることができます。
無駄だと思われるお付き合いも、流れにまかせていると新たな発見があったり、物事がスムーズに流れる手助けになることもあります。
現代社会では無駄を排除して合理性を高め、生産性を上げることにみんな必死です。確かに、この超スピード時代に生産性を高めていくことは大切なことです。
でも、一歩立ち止まって冷静になり、あたりをよく見まわして、自分を見失わないようにして、自分のリズムを保つことが大切だと思います。

それでは、また。

心の中で賭けをしない

みなさんは、心の中で賭け(かけ)をしたことが何度もあるのではないでしょうか。過去に私は何度もあります。
「心の中で賭けをする」とは、例えば次のような事です。
(1)あと、10秒で信号が変われば、何か良いことがある。
(2)横断歩道の白線を踏み外さないで渡りきれれば、何か良いことがある。
(3)道路わきの白線を踏み外さないで向こうまで歩ければ、地球は滅亡しない。
などです。
ここで注意しなければならないのは(3)のようなマイナス思考の心の賭けの場合です。確かに、賭け事は(実際に金銭を賭けなくても)ワクワクして楽しいものです。私も競馬のG1レースを1年間買い続けたことがありますが、結果的にトントンで終わって、少しも儲かりませんでしたが、レースを見ているときにはワクワクして楽しい思いをしました。
賭け事には大きな落とし穴があります。賭けに勝ったときには「得られる」のでいいのですが、賭けに負けたときに「失う」ということです。たいてい、人は賭けに勝つまで、ずっと賭け続けることになります。これでは心の平静が保てません。いっそのこと「賭け」をやめてしまったほうが、ワクワク感はなくなりますが、心の平静を保つことができます。心の平静は即(すなわ)ち、心の幸せを意味します。
また、「神(または悪魔)に誓う」ということがあります。例えば次のような事です。
(1)神(または悪魔)に誓って、これをやり遂げる。もし、やり遂げられなければ、命をとられてもかまわない。
(2)病気(特に難病)が治れば、神の存在を信じる。
などです。
人は常に心の支えを探しています。クリスチャン(キリスト者)は神の存在を心の支えとしているでしょうし、自分の子供の成長を心の支えとしている人もいます。高価な物品を買い集めて所有することを心の支えとしている人もいます。
新約聖書には「神に誓ってはいけない」と書かれています。この解釈は、「畏(おそ)れ多い神を安易に誓いの対象に使ってはいけない」という意味だと思います。
心のしがらみから開放されるために、「心の中での賭け」をやめ、平穏なこころを得られてはいかがでしょうか。

それでは、また。

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