先日、不確実なことがあると、全否定してしまうという女性に出会いました。最初、話していて、こちらの質問に「はい」か「いいえ」でしか答えてくれなかったので、この人は話をしたくないのかな?と思っていましたが、ちょっと違いました。
 たとえば、彼女はテレビのニュースは情報が操作されていて全部が嘘だから、ニュースは見ないと言われていました。確かに、ニュースでも多少情報に操作があったり、誤認識で間違ったことが報道されることもあります。でも、ニュースの取材者、報道者は、報道内容を少しでも事実に近づけようと努力していると思います。
 その女性は現在私たちが教わっている歴史についても、嘘だらけだと言われていました。私が中学生の頃の歴史の教科書と今の教科書には、多少表現の違いがあります。これは、歴史に新たな事実が確認された箇所についてのみです。鎌倉幕府を創設した年号も昔と今では変わっています。
 他には裁判もいい加減なもので、冤罪(えんざい)だらけだと言われていました。確かに冤罪は存在します。どうもこの女性は1のものを100にとらえて、それで全否定してしまうようです。ただ、この女性は聖書だけは真実であると信じているそうです。議論を長引かせないように、私は聖書についてはあまり追求しませんでしたが、特に今ある新約聖書は教会の都合の良いように、イエスが神の子であることを証明する内容のみになるように、編さんされていると認識しています。新約聖書の原点となる「死海文書」が発見されたとき、今ある新約聖書以外の聖書も見つかっています。
 物事を100%真実をとらえようとするには、無理があるかと思います。私は「当たらずしも遠からず」で良いと思っています。80%真実をとらえられれば上出来だと思います。また、私たち人間の五感と脳で認識できることは、物理現象すべてではありません。例えば、物理学の世界では「時間は連続していない」ことがわかっています。でも、時間が連続していなくても、私たちが生存するにあたっては、それが認識できなくても何の不都合もありません。
 私は不確実なことがあっても、それを全否定する必要はないと考えます。世の中0/1ではないのです。「当たらすしも遠からず」、それでいいじゃありませんか。

それでは、また。

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