Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

2012年07月

いじめについて

 最近、いじめによる中学生の自殺のニュースが報道されています。また、いじめに関連する他のニュースも報道されています。
日本でのいじめは陰湿なものが多いです。ちなみに、フランスでは「陰湿」にあたる言葉が無いそうです。あっけらかんとしたフランス人の国民性がそのような言葉を作らなかったのかもしれません。
 いじめの中でも陰湿なのは、「無視」(シカト)することです。無視することで、その人の存在そのものを消してしまいます。まさに、生殺し状態です。また、無視することは、傷害と違い、法律に違反しません。
いじめる側は自分が無視されていないという安心感とグループの結束感を得ます。
作家の重松清さんの小説「エイジ」の中にも、いじめに関する内容が出てきます。
この小説の中で「いったい無視するいじめは誰が考えたんだろう?感心はするけれど尊敬はしない。絶対に。」という一文が出てきます。
 私について言えば、いじめられたこともありますし、いじめたこともあります。
いじめる側は面白がって優越感や快感を味わいますが、いじめられる側はまさに心の地獄です。
大人になった今では、他人をいじめるなどという無駄で非生産的なことをする気は全くありませんし、他人を傷つけることはしようとは思いません。
 昔はいじめられる人というのは、何かが劣っていたり、生意気だったりするように原因がはっきりしていました。確かに、人には弱い者や、劣っている者をこの世から抹消したいという心理は働きます。
また、女子のいじめは男子のいじめよりも陰湿なものが多いようです。最近では、仲間はずれにされる人に、特に落ち度があったわけではないのに、何かのきっかけで、単に面白がっていじめの標的にされてしまうこともあるようです。
私の娘も小学校6年生の時に、いじめの対象になってしまったことがありました。
そのときは、娘はグループの中にいても、みんなに無視されて、一緒にいても話に加わることができませんでした。そのとき、私の妻がいろいろと行動して働きかけてくれて、いじめの問題は解決しました。
私が小学校4年生の時に転校したとき、短い期間でしたが、いじめられたことがあります。
そのときは、消しゴムを切り刻まれたり、ノートを破られたり、上靴を隠されたぐらいで済みましたが。
私がいじめの対象にされたのは、私が生意気で目だってしまったからです。
私の母親は、宝塚歌劇団に本気で入団しようと思っていたような、ちょっと変わった人だったので普通の人とは感覚が違いました。そんな母親に育てられた私も、ちょっと感覚が違ってしまったようです。
日本人にはみんなと同じで目立たないことがよいことで、「出る杭(くい)は打たれる」という諺(ことわざ)もあるぐらいです。そんな謙虚さの美徳の風習が日本人の心には浸透しています。
普通の親だったら、転校してからしばらくは、おとなしくしていなさいと助言してくれたかもしれません。
転校一日目から発表するなどして、目立ったことをしてしまった私は、いじめの対象になってもしかたなかったのかもしれません。
そのとき、いじめのリーダー格の人と対決して、実力を認められ、それ以来いじめはなくなりました。
今の時代はみんなが不安を抱えています。その心の歪(ひず)みがストレスになり、いじめをエスカレートさせているのかもしれません。
「みんな仲良く」とまでは言いませんが、少なくとも、もてあますエネルギーをいじめに使うのではなく、もっと創作的なことや、スポーツや勉学に使ってそれに没頭して迷いがなくなれば、いじめはずっと少なくなると思います。
また、押し付けるわけではありませんが、私のように仏教の物の考え方を身に着けることも良いことです。

それでは、また。

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背水の陣について

 敵に攻められたときに、自(みずか)ら退路を封鎖してしまうという「背水の陣」というのがあります。
崖っぷちに立たされたとき、人は思わぬ力を発揮するというものです。
結論から言いますと、私はこの「背水の陣」が好きではありません。「一か八(ばち)か」、「伸るか反るか」という選択だと思いますが、失敗すれば全滅してしまいます。
 私の考えでは、退路を残したままで、力を発揮できるのが一番よい方法だと思っています。
 過去に、実業団女子バレーのチームで、イトーヨーカドーが優勝したとき、その練習方法は実にユニークなものだったと聞いています。確かに練習は厳しいです。でも、厳しい練習の中にも選手全員が楽しさを見出せる、選手の意見も取り入れた練習方法だったそうです。
 私は趣味でボウリングをやりますが、全身全霊でボールを投げたときよりも、余裕を残して投げたときの方が、スコアが良い場合があります。これも、「背水の陣」を使わなかった例です。
 大学入試の受験勉強では、私は「赤本」を使わずに、教科書を中心に基礎を勉強しました。普通の人は「赤本」で、入学したい大学の過去問題を徹底的に勉強するようですが、勉強嫌いの私は、自分のペースで徹底的に基礎を叩き込みました。入試科目で選択した化学では、「化学8週間」という参考書兼問題集を買って、徹底的に基礎から応用まで勉強しました。英語は小学生の頃から基礎を学んでいたので、英語はもともと得意科目でした。通っていた高校での夏季講習を受講しましたが、数学はレベルが高すぎてついていけず、途中であきらめて、基礎を中心に自分で勉強しなおしました。大学入試問題に、運良く予想した問題が出たこともあり、第一志望の大学にストレートで合格することができました。
 勉強において「全力投球」という言葉を聞きますが、一歩立ち止まって、周りをよく見渡し、自分に合った勉強方法をとるのもひとつの手だと思います。
 ボールを投げるにしても、直球だけではなく、変化球も使ってみるのも一つの手です。
「背水の陣」を敷いて、誤った方向に進んでは、物事はうまくいきません。
「背水の陣」を使わずに、まずは深呼吸してから、じっくり取り組んでみるのも良い事だと思います。

それでは、また。


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生きるということについて

 「生きる」ということは、もっとも難しいテーマだと思います。人それぞれが、それぞれの考え方を持って毎日を生きています。
 現代社会では、お金が生活を支えて媒介するものとなっていますが、お金を稼ぐのは大変です。ほとんどの人が、もっとお金を欲しいと思っていると思います。
大金を稼ぐことに成功した人でも、大金を稼ぐにはかなりのリスクを必要とします。今、金持ちでも明日も金持ちである保障はありません。また、お金を稼ぐことに成功しても、実生活がむなしいものになっている人もいます。
 私の提案する生き方に「お金と生活のバランスをとる」ということがあります。お金半分、実生活半分です。
 仕事を継続できて、一定の収入が得られる人は幸せだと思います。中には、十分なお金は稼げるけれど、仕事がハードすぎて、体を壊してしまう人もいます。
 分子生物学者の福岡伸一さんの著書「動的平衡」の中で、生命とはダイナミックに流動し、変化する中に存在すると書かれていました。私たちは毎日、生活を営んでいますが、時代によって正しい知識や常識が変わっていきます。その流動するなかで、私たちは生活しています。
 不景気のこの世の中、自らの命を絶つ人が後を絶ちません。現在、自殺者数は癌(がん)で死ぬ人よりも多いそうです。
 芸能人の武田鉄矢さんのお母さんは、鉄矢さんが子供のころ、「少しでも休みたいと思ったら、そのときは死ね」と言ったそうです。「死ね」とはちょっと言い過ぎだと思いますが、この世の中で生きていくためには、そのぐらいの覚悟が必要かもしれません。
 仕事に就くときも、自分がやりたい仕事に就くことは大切なことです。できるなら、若い頃にお金に結びつく資格をとって、自分に投資することも生活を豊かにするために必要なことだと思います。

それでは、また。

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