Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

2011年04月

閉塞状態をつくらない

私は精神的に一番苦しい状態は閉塞(へいそく)状態だと思います。閉塞状態とは前にも後ろにも進めない、停滞した状態をいいます。まさに心の地獄です。勉強にしても仕事にしても、長時間行うと疲れて苦痛を生じますが、まだ前に進んでいるうちは本当の苦しみとはいえません。逆に後ろに進んだ状態とは、例えば仕事で失敗し、その対応処理をしている状態がそうです。後ろに進んでいるとはいえ、進んでいるわけですから、これも本当の苦しみとはいえません。人間を含め、すべての生物は寝ているとき意外は活動しています。この動きが循環せず、止まると人は苦痛を感じます。
閉塞状態とは、例えば学業においては、勉強したくてもお金がなくて進学できない状態がそうです。それでも、アルバイトをしてお金を稼ぎながら学業を続けたり、奨学金をもらって学業が続けられれば、これは前に進んだ状態なので、閉塞状態にはなりません。仕事での閉塞状態とは、資金繰りがうまくゆかず、事業を継続できない状態などがそうです。赤字続きでも事業が続けられれば、いつかは黒字に転換できる希望があるので、閉塞状態ではありません。
心身的な閉塞状態とは、うつ病等の心の病気になったり、癌(がん)等の体の病気になった場合です。
人は頑張りすぎて精神的に完全に疲れてしまうと、誰もがうつ病や心身症(自律神経失調症を含む)になる可能性があります。普段、人一倍元気で真面目な頑張り屋さんほど、精神的なバランスを崩すともろいです。
閉塞状態に陥らないためには、心身が元気なときに整理整頓したり、まとめを行い環境を整えておくとか、仕事を定型化や自動化しておき、疲れたときや多少元気がないときにでも、仕事が継続できるようにしておきます。要するに、元気なときに仕事の「貯金」をしておくことです。また、心理的には中国の「太極拳」のようにしなやかなのがいいです。
私は、責任のある仕事を目前にして緊張感が高まったときなど、小唄で拍子をとるときに使う「ちん、とん、しゃん」と心の中で言って心を落ち着けています。常日頃から閉塞状態に陥らないために、元気なときに行動し、作業の貯金をしておくことが肝心です。

それでは、また。

終わりがあるから頑張れる

もし、人の命が永遠だとしたら、私はそれはそれで結構なことだと思います。生物の本質としても、すべての生物は生きようとして行動しますし、死を恐れます。精神的に健康な人、または普通の人は長く生きることに喜びを感じます。歴史的に見ても「不老長寿」の薬を求めた権力者が何人もいました。人を含めすべての生物(生命)は必ず老いていき、最後には必ず死ぬことが宿命です。ところで、人の命が永遠だった場合、人は本当に幸せでしょうか。私は疑問に思います。
アニメ「海のトリトン(原作:手塚治虫)」に、呪いをかけられ死ねない体にされてしまった一匹の魚がでてきました。その魚は死ねないことについて、とても苦しんでいました。最後にトリトンの短剣で安らかに永遠の眠りにつきました。
私たちも、「年老いていつかは必ず死ぬ」とわかっているから、人生を有意義に生きようとしたり、頑張れることがあるのではないでしょうか。
私の母親は高校時代、陸上部の部長をしていて、トラック競技でインターハイ(高校全国大会)に出場しました。インターハイ出場のチームですから、練習の厳しさも並大抵ではありません。そんな厳しい練習の中、母は「時間が来れば練習は終わる」と言い聞かせて、苦しい練習に耐えたそうです。
私は中学時代、部活でバスケットボールをやっていましたが、2年先輩が全国大会出場、1年後輩が北海道大会準優勝という中学校でした。残念ながら、私の代はそこまではいかなかったのですが、練習のメニューは同じで、並の高校生よりも厳しい練習メニューをこなしていました。私といえば、厳しい練習の中で「時間が来れば終わる」とは思わずに、1つ1つの練習メニューを確実にこなしていくという方法で厳しい練習に耐えました。
勉強にしても、仕事にしても、楽しいことよりも辛いことの方が多いと思います。でも、少しの楽しみが多くの苦しみを打ち消してくれることがあります。勉強では、難しい問題を解き終えたとき、充実感がありますし、理解できれば頭がすっきりします。仕事においては、よい品質のものを提供し、お客さんが喜んでくれる姿を見たり聞いたりすると、それまでの苦労が吹き飛んでしまうことがあります。仕事の後の一杯のコーヒーや、ビールがとても美味しく感じられることがあります。
「終わりがあるから頑張れる」。そのようなこともあるのではないでしょうか。

それでは、また。

目覚めることについて

私たちは毎朝目覚めます(当たり前ですよね)。
でも、朝目覚めたときは、私の言う「本当に目覚めた」わけではありません。目は覚めているけれど、まだ頭が立ち上がっている状態ではなく、なんとなく寝ぼけています。
これから私が書く「目覚めた」状態とは、きちんと頭が立ち上がり、頭のスイッチがONになった覚醒した状態を言います。
インドのお釈迦様は自(みずか)ら「仏陀(ブッダ)」と名乗りました。これは「目覚めた者」という意味です。お釈迦様の弟子たちも後に次々に悟りを開いていきました。「悟りを開く」とは、完全な目覚めで、この世のありとあらゆるものについて、また、物の道理について完全に理解し、自分の心を完全にコントロールできる状態を言います。私たちは肉体を持っていますので、「悟りを開く」ことは容易ではありませんし、現実生活において、悟りを開くことは必要だとは思えません。ただ、現実生活においても、正しく物を見て、聞き、考え、行動することは幸せになるためには必要です。
私たちは心のフィルターを通して物を見て、聞き、考えています。そのフィルターは真実をゆがめています。場合によっては自分だけの考えに固執するあまり、自分に都合のいいように解釈して、事実を曲げたり、事実から遠ざかっています。素直な気持ちを持ち、何も足さず何も引かずに、ありのままをありのままに受け止めれば、心のフィルターで真実がゆがめられられることはありません。
私たちは地球上の生物の中では飛びぬけて優秀な頭脳を持った人間ですが、人間と言えども肉体は他の動物とさほど変わりありません。感情を持っていますし、感情が事実をゆがめてしまうことがあります。
また、目覚めた状態で使う精神エネルギーには、正のエネルギーと負のエネルギーがあります。正のエネルギーは世の中を良くする、穏やかで建設的なエネルギーです。例を挙げれば、協力、手助け、友愛等の自分にも他人にも「与える」エネルギーです。負のエネルギーは世の中を悪くする破壊的なエネルギーです。例を挙げれば、恨み、ねたみ、いじめ等の自分からも他人からも「奪う」エネルギーです。
心のエネルギーを正のエネルギーに保ち、エネルギーを正しい方向に向け、うまく循環させれば、私たちは皆、幸せの方向に向かうと思います。

それでは、また。

大人は偉いか?

「大人は偉いか?」という問いが小学生の間でなされます。
子供にしてみれば、威張りちらしている大人なんて、ちっとも偉くないという反発心が生じるのだと思います。ちなみに私は威張ることはしませんし、基本的にウソはつきません。
私の回答です。
「大人は偉いのではなくて、『すごい』」のだと。
もちろん、すごくない大人も多数存在します。私は小学生等の子供たちに自分の頭で考えて、しっかり行動しないと、「あんな大人にはなりたくない」という大人に自分がなってしまうと言い聞かせています。
子供に対して、大人のどこがすごいかというと、私の実感では大人は脳波の波長が子供の時よりも複雑になっていると感じています。脳波が複雑になると、3つぐらいのことがいっぺんにできるようになり、ミスが少なくなります。例えば、喫茶店でコーヒーを飲むときでも、(1)テーブルのコーヒーをこぼさないように気をつけながら(2)話をしながら(3)まわりにも気を配る。などと、複数のことを同時に進めることができるようになります。また、思考空間も広くなりますし、知識や経験も子供よりもはるかに豊富です。そのために正しい判断ができるようになります。また、忍耐力も増しています。
大人と子供は本当は線引きはできないのだと思います。子供の中にも大人のようにしっかりしている子供もいるし、逆に大人の中にも子供じみた人もいます。でも、どこかで線引きをしないと、お酒やタバコの問題もありますし、扶養や結婚の問題もあります。線引きは一般に「成人」の年齢で行われますが、これは国により年齢が異なります。一般的には18歳から21歳の間になっていて、世界の主流は18歳です。(世界の成人年齢、各国の事情とは?参照) 日本では20歳が成人の年齢になっていますが、新入の大学1年生はまだ未成年ですが、歓迎コンパなどではお酒を飲みます(ごめんなさい私も飲みました)。でも、本音とたてまえがあって、このようなことは19歳以上ならば許される(法律的には許されないのですが)ことがあります。
私は子供のころ、父親と話をするときに敬語を使わなくてはならないという厳格な家庭に生まれ育ちました。友達がお父さんと友達同士みたいにタメ口で話しているのを聞くと、うらやましく思ったものです。
私が父親になった今、私の家庭では娘たちは私と敬語を使わずに普通に会話しています。でも、お父さんやお母さんは「友達」よりも「先生」に近いと言い聞かせています。「親しき仲にも礼儀あり」です。
私は子供時代の心をいつまでも失わない大人でいたいと思っています。

それでは、また。

ストレスについて

ストレスについて書きます。
現代社会のこの世の中、社会構造や人間関係が複雑になり、また情報も氾濫し、とにかくストレスの要因になる事物が多いのが現状です。
専門的にはストレスの要因になるものを「ストレッサー」、ストレッサーにより引き起こされる反応を「ストレス反応」といい、その2つを合わせたものを「ストレス」と呼びます。
ストレスは悪いものだという認識が強いですが、全くストレスの無い状態も快適な状態では無いと思います。
まずは気候からですが、「寒い」や「暑い」というのもストレッサーの一つになります。特に「寒い」という状態は、人間の文化を発達させました。暑い地方で暮らすアフリカの土人は、衣服をあまり必要としませんが、寒い地方で暮らす人たちには、寒さを防ぐための衣服が欠かせません。「寒い」という苦痛から逃れるために知恵を使わなくてはなりません。そのうち、衣服がファッションにまで発展しました。本来、寒さを防ぐ衣服がおしゃれとしての個性を主張するアイテムにまで発展しました。色とりどりの洋服は見ていてきれいですし、おしゃれなデザインにも好感が持てます。
「ハングリー」(空腹や事物に満たされないこと)もストレッサーになり、その苦痛から逃れるために人間は知恵を働かせてきました。日持ちのする食べ物の保存法を考えたり、食べ物を採集するだけではなく、自ら育てる「農耕」や「家畜」、「養殖」が考えられました。
また、「ハングリー」であることには、やる気を出させる要素もあると思います。人間、命がかかっていたり、そうでなくとも必要に迫られると行動せざるを得なくなります。
この「ストレス」も適度なのが良いと思います。適度なストレス(刺激)は適度な緊張感を保つための重要な役割を果たします。また、極限状態で生死がかかっている状況では精神をすり減らし、かなりの精神エネルギーを費やして疲れてしまいます。反対にストレスが全く無いのも、生きている実感が持てません。
昔、平和ボケの日本では、犯罪があるくらいが丁度良いと言っていた人がいましたが、私はそうは思いません。このようなストレスは映画などの架空の世界で十分だと思います。映画では私達が普段できないようなことを俳優さんや女優さんが演じてくれます。それを見て、私達は楽しみます。また、余ったエネルギーは音楽や絵画等の芸術に使うとか、スポーツで汗を流すことで費やした方がよっぽど有意義だと思います。
十分な収入が得られない現代社会では、余暇の充実はなかなか難しいですよね。そういう時は、たまに自分に御褒美の御馳走とか、一点豪華主義がよいと思います。

それでは、また。
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