Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

2011年03月

働くことについて

人は大人になると、生活のため、収入を得るために働かなくてはならない。特にサラリーマンのほとんどの人は、収入を得るために働くと考えるだろう。これは、事実である。しかし、働く意義を考えた場合、働くのは収入のためだけではない。長年働いてキャリアを積み上げていくと、技術も知識も向上し、仕事をコントロールすることができるようになり、ますます仕事が面白くなる。それに伴い、人格も向上する。仕事の能力は自己管理と手順、経験、情報分析、発想に関わってくる。また、仕事は生活の大部分を占め、自己実現に大きく関わってくる。顧客に納得のゆく品質のもの、または期待以上の品質のものを提供し、喜んでくれるところを見ると、大きな満足感が得られ、仕事の楽しさを知ることにつながる。日本では高度経済成長期時代から終身雇用という制度が定着してきた。それが近年崩れつつある。経済が右肩上がりに成長していた時代においては、仕事の量が次第に増え、社員全員に仕事を与えることができた。また、その時代では産業の発展する時間が、現在よりもゆるかやだったので、会社は社員を終身雇用しても会社が持ちこたえることができた。しかし、現在においては、終身雇用は夢物語となった。時代の変化が早すぎて、その変化に対応するため、会社の寿命が短くなり、終身雇用まで会社が存続できないのである。また、有能な若手社員を常に獲得し、会社にとって戦力にならなくなった老齢の社員のクビを切らなくては、もはや会社は存続できない時代となっている。また、時代の急激な変化に対応するため、新しい技術を常に取り入れていかなくてはならない。給料以上の仕事をすれば、それは会社の利益に貢献したことになる。会社で出世する人は間違いなく、給料以上の仕事をしている人である。この「給料以上の仕事をする人」がプロである。この「仕事のプロ」たちは、会社に貢献したことになり、ひいては社会に貢献したことになる。また、仕事は単純作業よりも頭脳労働の方が収入の単価が高い。我々はキャリアを積み、収入の単価を上げていくべきである。また、担当者よりも、リーダー、管理職者の方が単価が高い。収入はピラミッド構造になっている。給料の差は見識(物の見方、考え方)の差である。また、仕事をライフワークとして考えた場合、それは短距離走ではなく、長距離走である。もちろん、職業はサラリーマンだけではなく、自営業の人等、さまざまである。常に仕事のプロとして創意工夫をし、生産性を上げていけば、日本という国や国民がもっと豊かになれると思う。

それでは、また。

不安について

現代生活に限らず、原始時代から「生きる」ということには、不安はつきものでした。特に、原始時代では常に命が危険にさらされていたため、ただならぬ緊張感が要求されたと思います。複雑な現代社会においては、不安な気持ちを必要以上に感じてしまう心配性の人や、逆に不安をバネにして、大きく飛躍する人もいます。
不安とは未知の物事を目の前にしたときに起こる感情です。誰しも、未知の物事には不安を感じます。また、見通しのきかない未来に対しても、不安をいだく場合があります。
徒競走の100m(50m)走のスタート地点では、誰しも不安な気持ちになり、心臓がドキドキします。このとき、不安と期待が入り混じった気持ちになります。
未知の物事を目の前にすると、理解不能のために、頭が多少混乱し、不快を感じます。だから、人は未知の物事をなくし、この不快な気持ちを解消するために「知りたい」という感情が働くのだと思います。「知りたい」という欲求は人が生きていく上で、自然な欲求であり、これにより向上心も生まれます。
未知の物への不安を逆手にとった「霊感商法」などの悪徳商法があります。これは恥ずべき行為だと思います。
未知のものの代表的なものに「幽霊」があります。私は幽霊は存在すると思います。霊感の鋭い人の中には幽霊の見える人がいます。ただ、幽霊は基本的には生きている人間に危害を加えることはありませんし、ましてや人間を殺すこともできません。幽霊には幽霊のしたいことがあります。放っておくのが一番いいです。
私は宗教についてもある程度の知識があります。キリスト教と仏教は、目指すところは一緒です。ただ、その教えには、神の視点から見ているか、人間の視点から見ているかの違いがあります。宗教を実践する人は、その教えを守り、実行するという純真さがあります。ただし、私のように教団に所属していない人間の方が、自由に考えることができ、客観的に見ることができます。例えば、イエス・キリストは本当は12月25日ではなく、実際には秋に生まれたようです。これは、聖書に書かれている背景からわかります。12月25日というのは冬至に近く、キリスト教が太陽信仰の宗教の影響を受けた時代に、その太陽信仰の宗教での1年の始まりの日である12月25日をイエス・キリストの誕生日としたそうです。でも、クリスチャンの友人にこのことを言っても受け入れてもらえませんでした。純真ですね。
不安な気持ちになったときは、大きく深呼吸をするのが効果的です。深呼吸をするときは、まずは大きく息を吐きます。不安な気持ちになったときや、極度に緊張感が高まったときは、呼吸が浅く速くなっています。呼吸は心と体と繋いでいます。呼吸のリズムが乱れると、より、不安が大きくなってしまいます。

それでは、また。

人は一人で生きていけるか

命題です。「人は一人で生きていけるか」
私の回答は「非常に困難を要するけれど、人は一人で生きていける」です。戦後、1972年に横井庄一さんがグアム島で発見されましたが、全て自足自給の生活をしていました。ただ、風邪や病気になっても薬はないし、大変だったと思います。また、食料や衣類の調達もすべて自分でしなければならず大変です。
現代生活においての一人暮らしは、食料等もコンビニで調達できるため、案外気楽にできると思います。それでも、「買う」ということは、誰かが作ったものを買うわけですから、誰かの手助けを受けているとも考えられます。一人暮らしのお年寄りは大変ですね。近所に知り合い等がいれば、まだ安心ですが、気の毒なことに都会では、死後、数週間たってから発見されることもたびたびあります。
昔と違い結婚も、経済的な理由や自由を束縛される理由から敬遠する人が増えています。確かに全く習慣の違う男女が一つ屋根の下で暮らすのですから、ある意味大変なことです。子育てはもっと大変です。
私は結婚して、2人の娘がいますが、子育ては思っていたほどは大変でないと思っています。妻にも協力しましたが、それでも一番大変なのは妻でした。私は子供に対しては、一人の人間として接しています。
アパートに住むにしても、お金を支払えば住むことができますが、それでもそのアパートは誰かが建てたわけです。現代生活において、他人の手助けなしには生活は成り立ちません。気疲れすることもありますが、やはり一人よりは友達や仲間、家族がいた方が楽しいし、充実します。
ちなみに、世界最小!?のサル「ピグミーマーモセット」は一匹だけにすると、寂しくて死んでしまうそうです。
人はみんなで助け合って生活しています。実際にはお金がそれを媒介しています。お金や物の媒介なしに、みんなで助け合えれば素敵ですね。

それでは、また。

「ありがとう」という言葉について

「ありがとう」という感謝の言葉について書きます。
「ありがとう」という言葉は、人に何かをしてもらったり、何かをもらったりしたときに言う感謝の言葉ですよね。
先日、バスを降りるときに運転手さんに「ありがとうございました」と言って降りる方を見かけました。私はこのような方を時々見かけます。
私ならば、料金を支払ってバスに乗っているのだから、対等な立場または、こちらがお客さんの立場なので、降りるときに運転手さんに「ありがとう」は言いません。でも、会釈ぐらいはします。きっと、「ありがとう」という人は、お金のことを考えずに損得勘定なしに、「乗せていただいてありがとう」という感謝の気持ちを口にしているのだと思います。でも、私はお医者さんには「ありがとうございます」と言ってしまいます。
関東をはじめ、東日本の人は旅行に行ったときなど、アパートの大家さんにお土産を買ってきたりします。関西の人はこれを聞いてびっくりするそうです。きちんと家賃を支払って部屋を借りているのだから、それ以上のお礼は不要というわけです。素直な気持ちで「ありがとう」が言える人は好感が持てるし、人に好かれます。
最近読んだ「引き寄せの法則」の本によると、感謝の気持ちを持つと、宇宙意識(これを「神」と呼ぶ人もいます)とつながることができるそうです。みんなが感謝の気持ちを持ち、「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉に表すと、みんなが宇宙意識とつながり、心のネットワークができます。人の心がつながると、世の中が平和になり、みんなが幸せになれます。

それでは、また。

自由について

みなさんは、「自由」という言葉から何を思い浮かべますか。束縛されていないことでしょうか。「自由、気まま」という言葉もありますね。「自由にお使いください」というのもあります。英語で自由は「Freedom」ですね。また、英語の「free」は「無料」という意味でも使われます。私が「自由」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるのは「選択の自由」です。自由とは「好き勝手して良い」という意味ではありません。自分で選択したからには、その責任が生じます。選択の自由には、学校選択の自由や、職業選択の自由、結婚相手選択の自由、住む場所の選択の自由など、さまざまです。「自由の国アメリカ」などと言いますが、アメリカ流の自由は「自由」に対しての責任も重く、私の感覚ではアメリカは大変な国のように思います。江戸時代までの昔の日本では、職業選択の自由もありませんでしたし(職業は世襲制)、住む場所の自由もあまりありませんでした。
選択の自由の良い点は、自分の得意なことや、好きなことを選べることです。「好きこそ物の上手なれ」というように、好きなことをやると、苦痛が少なく、逆につらい事も楽しいことに変わります。人はみんなで助け合って生きています。それぞれが自分の得意なことをやり、みんなで助け合えば、生産性も上がるし、辛くて不得意なことをやる必要もありません。みんなが共通のルールを守り、協力し合えば、豊かで楽しい暮らしができると思います。

それでは、また。
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