Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

2011年02月

人は窮屈なことを好む

「人は窮屈なことを好む」というのは、作家の村上春樹さんの言われた言葉です。
この言葉には、なにやら一理あるようです。映画「船の上のピアニスト」では、主人公の「1900」が次のように言っていました。
「僕は船の上でなければ暮らせない。外の世界は広すぎて、いったいどこへ行ったらいいのかわからない」と。
確かに、人はすることが決まっていて、その手順も明確に決まっていれば、余計なことを考えずに済むので気持ちは楽です。
新興宗教等で、教祖の言うことのみを聞き、それに従って忠実に生きることは、自分の頭で考える必要が無くなり、ある意味楽なことなのかもしれません。
しかし、我々人間は「考える葦(あし)」です。自分の頭で物事を考え判断し、行動してこそ意味があると思います。
それは、ある意味大変なことなのかもしれません。単純作業や単純な記憶は機械やロボット、コンピューターに任せ、我々人間は工夫や発明等に言われる、想像や創造等のもっと創作的なことをすべきだと思います。記憶も大切ですが、無理な暗記をするのではなく、必要なことを自然に覚える範囲にとどめるのが良いように思います。
あと、ひらめきも大切です。コンピューターにはひらめきというものがありません。この「ひらめき」というものは、人間が宇宙意識とつながったときに起こるように思います。宇宙意識というのは、宇宙に蔓延する「意思エネルギー」のことです。
人はこの意思エネルギーのことを「神」と呼んだりもします。このエネルギーは形はなく、純粋な知能です。
物理的な空間の広さについてですが、西洋のことわざに「大物を育てるには天井を高くしろ」という言葉があるそうです。
北海道での友人の家は一戸建てで、リビングが二階まで吹き抜けになっていましたが、その友人が大物になったかどうかは定かではありません。やはり、適材適所というところでしょうか。物理的空間の広さも大切ですが、心の空間の広さの方が大切なような気がしています。
私は北海道という広大な大地のもとで生まれ育ちました。私には北海道は広すぎました。広すぎて自由すぎる感じがしていました。
逆に東京は人が多く、空間が狭すぎます。今、私が住んでいる地方都市の横浜近辺が、空間的な広さとしては一番ちょうど良いような気がしています。
物理的な空間も大切ですが、心の空間もちょうど良い広さに保つのが良いように思います。

それでは、また。

嫌いな人は嫌いなままでいい

母が私に、「どうしても気が合わなくて、仲良くなれない人がいて困っているの。」と言ったことがありました。
それに対する私の回答はこうです。
「人それぞれ、みんな性格が違うんだから、合わない人もいるよ。」
「合わない人を無理に好きになることはないよ。」
そのとき母は、誰とでも仲良くなり、常に良い人(善人)になろうと努力していました。しかも、「~しなくてはいけない」に縛られていました。この「~しなくてはいけない(=~せねばならぬ、~すべき)」という思考は脅迫観念を生じさせます。
無理をするとひずみが生じ、それがストレスに変わります。ストレスがたまると心や体を害します。私は、嫌いな人は嫌いなままで良いと思います。
世の中には気の合わない人や、意地悪な人もいます。嫌いな人を好きになろうとしても、それは無理というものです。
相手がこちらを嫌うと、こちらも警戒して相手を嫌うのが普通です。
話がそれますが、「嫌い」という言葉を柔らかくして「苦手」という言葉を使うのが、話し上手な人のようです。
私の場合で恐縮ですが、私に好意を持つ人と、嫌う人の真っ二つに分かれるようです。理由は私の感覚が、通常の人と少し違うからだと思います。
通常の人というのは、感情が豊かで、少し感情におぼれている感じがします。私といえば、どちらかというと論理派で(といっても感情が無いわけではありませんが)いつもある程度(特に怒りの感情について)自然と感情をコントロールしています。
人の全ての感情は「好き」と「嫌い」から始まっているんだと思います。私たち人間は生命活動を行っています。生命を維持する基本は「好き」なものを体や心に取り込み、「嫌い」なものを体や心から排除することです。
気の合わない人とは、ちょうど良く距離をおいて接する(またはあまり関わらない)のがよいと思います。でも、人は一面だけではありませんので、そのうちに良い面も見えてくるかもしれません。機会を見計らい、お互いの良い点を理解し合えたら、さらによいと思います。

それでは、また。

反省することについて

辞書で「反省」を調べてみると、次のように書いてありました。
以下、大辞林より。
「振り返って考えること。過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること。」
私はこれではこの言葉に対する解釈が、不十分だと思います。
大抵の辞書には悪い点に対しての反省しか書いてありません。
反省には必ず「良い点」と「悪い点」の両方の反省があります。
反省するということは、「しょげる」ことではありません。
過去に行ったことについて省みて、チェックし、良かった点と悪かった点それぞれについて確認します。
良かった点については再度、同じことを行います。また、できるならば、より改善を試みます。
悪かった点については、悪かった内容について、どこがどのように悪かったのかを分析し、歯止め策を考案して実行し、同じ失敗を二度繰り返さないようにします。
このように普段、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではない場合もあります。
みなさんも、いろいろな物事に対して、もう一歩踏み込んで考えてみてはいかがでしょうか。

それでは、また。

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