以前、萩本欽一さんのテレビ番組で「欽ドン!良い子悪い子普通の子」という番組がありました。
私が学生の頃のテレビ番組で(私の年齢がわかる?)視聴者から寄せられたハガキを元に、寸劇調で演じられており、毎週楽しんで観ておりました。
 今回はこの「良い、悪い、普通」に着目したいと思います。
キリスト教の世界では「普通」が存在せずに「良い」と「悪い」しかありません。ともすると、人はこの「普通」を見落としがちです。仏教の世界には「普通」が存在します。というのは、キリスト教の世界(キリスト教徒の方、一方的に決め付けてしまいました。反論があれば謝ります。)では、神の視点から見た世界であり、中間が存在しないのです。
仏教の世界は人間の視点から見た、自然界そのものの世界なので、「中間」である「普通」が無数に存在します。無数というのは「良い」に近い「普通」から「悪い」に近い「普通」まであり、色に例えるならば、「良い」を「白」として、「悪い」を「黒」とするならば、「白」に近い「灰色(グレー)」から「黒」に近い「灰色」まで、その階調は3000色にも及びます。これは仏教で言う「一念三千」に通じます。
(ちなみに、私は現在、仏教の宗教団体には所属しておりません。) 
 とかく西洋人は白黒を付けたがります。これはキリスト教の影響なのかもしれません。日本人は古来より仏教(東洋思想)の影響を受けているのか、「和」を尊び、あまり白黒を付けたがりません。(最近の若い方は国際社会の影響か、西洋的な考えの方も多数いらっしゃいますが。)
 私が今回言いたい事は、我々が最初に目指すべきなのは「普通」だと思う事です。「普通」まで達していないのに、いきなり「良い」を目指すとその反動で「悪い」に向かってしまいます。
また、人々が一番、満足感、幸福感を感じるのは、安定した「普通」の状態です。
世の中はめまぐるしく変わっています。古来からの方法に固執して、変化に対応できないと生きて行きにくい世の中にもなってきています。リスクをとらない方が、リスクが高くなる場合もあります。そんな世の中でも、バランスを取る「普通」が重要なのは普遍な事かと思います。

それでは、また。

今月の曲

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