最近、いじめによる中学生の自殺のニュースが報道されています。また、いじめに関連する他のニュースも報道されています。
日本でのいじめは陰湿なものが多いです。ちなみに、フランスでは「陰湿」にあたる言葉が無いそうです。あっけらかんとしたフランス人の国民性がそのような言葉を作らなかったのかもしれません。
 いじめの中でも陰湿なのは、「無視」(シカト)することです。無視することで、その人の存在そのものを消してしまいます。まさに、生殺し状態です。また、無視することは、傷害と違い、法律に違反しません。
いじめる側は自分が無視されていないという安心感とグループの結束感を得ます。
作家の重松清さんの小説「エイジ」の中にも、いじめに関する内容が出てきます。
この小説の中で「いったい無視するいじめは誰が考えたんだろう?感心はするけれど尊敬はしない。絶対に。」という一文が出てきます。
 私について言えば、いじめられたこともありますし、いじめたこともあります。
いじめる側は面白がって優越感や快感を味わいますが、いじめられる側はまさに心の地獄です。
大人になった今では、他人をいじめるなどという無駄で非生産的なことをする気は全くありませんし、他人を傷つけることはしようとは思いません。
 昔はいじめられる人というのは、何かが劣っていたり、生意気だったりするように原因がはっきりしていました。確かに、人には弱い者や、劣っている者をこの世から抹消したいという心理は働きます。
また、女子のいじめは男子のいじめよりも陰湿なものが多いようです。最近では、仲間はずれにされる人に、特に落ち度があったわけではないのに、何かのきっかけで、単に面白がっていじめの標的にされてしまうこともあるようです。
私の娘も小学校6年生の時に、いじめの対象になってしまったことがありました。
そのときは、娘はグループの中にいても、みんなに無視されて、一緒にいても話に加わることができませんでした。そのとき、私の妻がいろいろと行動して働きかけてくれて、いじめの問題は解決しました。
私が小学校4年生の時に転校したとき、短い期間でしたが、いじめられたことがあります。
そのときは、消しゴムを切り刻まれたり、ノートを破られたり、上靴を隠されたぐらいで済みましたが。
私がいじめの対象にされたのは、私が生意気で目だってしまったからです。
私の母親は、宝塚歌劇団に本気で入団しようと思っていたような、ちょっと変わった人だったので普通の人とは感覚が違いました。そんな母親に育てられた私も、ちょっと感覚が違ってしまったようです。
日本人にはみんなと同じで目立たないことがよいことで、「出る杭(くい)は打たれる」という諺(ことわざ)もあるぐらいです。そんな謙虚さの美徳の風習が日本人の心には浸透しています。
普通の親だったら、転校してからしばらくは、おとなしくしていなさいと助言してくれたかもしれません。
転校一日目から発表するなどして、目立ったことをしてしまった私は、いじめの対象になってもしかたなかったのかもしれません。
そのとき、いじめのリーダー格の人と対決して、実力を認められ、それ以来いじめはなくなりました。
今の時代はみんなが不安を抱えています。その心の歪(ひず)みがストレスになり、いじめをエスカレートさせているのかもしれません。
「みんな仲良く」とまでは言いませんが、少なくとも、もてあますエネルギーをいじめに使うのではなく、もっと創作的なことや、スポーツや勉学に使ってそれに没頭して迷いがなくなれば、いじめはずっと少なくなると思います。
また、押し付けるわけではありませんが、私のように仏教の物の考え方を身に着けることも良いことです。

それでは、また。

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