すべての形あるものは、いつかは形がなくなるか、消えてなくなってしまいます。これを、「エントロピー増大の法則」と呼びます。整然とした状態は混沌とした無秩序状態に向かいます。
そうでなくても、人は大切な人を失ったり、大切にしていた物を紛失したり、壊れたりして失うことがあります。
世界中に1つしかない大切なものは、失いたくないですよね。代わりがないのですから。
人は失うことを恐れます。大切な人や物を失うと、心の安定が保てなくなりますし、悲しみや喪失感を感じます。
逆に、大切な人や物を失って初めて、人や物のありがたみが分かることがあります。
私は大学時代に上京(本当は埼玉県でした)し、一人暮らしを始めました。そのときに初めて体験したことなのですが、高校時代まで実家で暮らしていたときには、炊事、洗濯、掃除等はすべて母親がやってくれました。一人暮らしを始めてから、それまで母親がやってくれたことをすべて、自分でやることになり、母親のありがたみが初めてわかりました。そのかわり、誰からも何も言われないという「自由」を得ました。
私は昔、よく物を無くしました。何処にしまったか分からなくなる事も、使いたいときに使えなくなるという点では、その時点においては無くしたのと一緒です。よく探し物をしている私に対して母は「あなたは人生の大切な時間を探し物に費やしている」とよく言ったものです。いっそのこと、すべての持ち物に発信機を付けておきたいと思ったくらいなのですが、そんなことは現実的ではありません。社会人になってからは、持ち物はすべてしまう場所を決めておき、必ずその場所にしまうように習慣付けました。物を紛失するときは、決まって無意識にしまったときです。小さなものは決められたポーチ等に小分けにしまうようにしましたし、鞄のどのポケットにしまうかも決めています。電車に乗っている間は定期入れを必ずズボンの右前ポケットにしまうようにし、電車を降りてからは鞄の決められたポケットに定期入れを移し変えます。
子供が大きくなってからは、私の物を子供が勝手に使って元に戻さず、無くなってしまうことには閉口しています。家族と一緒に暮らしていると、一人暮らしと違って、物の管理が多少むずかしくなります。そういうときには、後で子供に私の物を勝手に持ち出さないようにと言い聞かせます。それでも私は家族ができて、妻や子供にめぐり合うことができました。家族で暮らすことは多少大変なこともありますが、お互いに影響しあって、得ることも多いと思います。
人は失って初めて、人や物の大切さに気づくことがあります。みなさんも、いろいろと経験があるのではないでしょうか。

それでは、また。