みなさんは、心の中で賭け(かけ)をしたことが何度もあるのではないでしょうか。過去に私は何度もあります。
「心の中で賭けをする」とは、例えば次のような事です。
(1)あと、10秒で信号が変われば、何か良いことがある。
(2)横断歩道の白線を踏み外さないで渡りきれれば、何か良いことがある。
(3)道路わきの白線を踏み外さないで向こうまで歩ければ、地球は滅亡しない。
などです。
ここで注意しなければならないのは(3)のようなマイナス思考の心の賭けの場合です。確かに、賭け事は(実際に金銭を賭けなくても)ワクワクして楽しいものです。私も競馬のG1レースを1年間買い続けたことがありますが、結果的にトントンで終わって、少しも儲かりませんでしたが、レースを見ているときにはワクワクして楽しい思いをしました。
賭け事には大きな落とし穴があります。賭けに勝ったときには「得られる」のでいいのですが、賭けに負けたときに「失う」ということです。たいてい、人は賭けに勝つまで、ずっと賭け続けることになります。これでは心の平静が保てません。いっそのこと「賭け」をやめてしまったほうが、ワクワク感はなくなりますが、心の平静を保つことができます。心の平静は即(すなわ)ち、心の幸せを意味します。
また、「神(または悪魔)に誓う」ということがあります。例えば次のような事です。
(1)神(または悪魔)に誓って、これをやり遂げる。もし、やり遂げられなければ、命をとられてもかまわない。
(2)病気(特に難病)が治れば、神の存在を信じる。
などです。
人は常に心の支えを探しています。クリスチャン(キリスト者)は神の存在を心の支えとしているでしょうし、自分の子供の成長を心の支えとしている人もいます。高価な物品を買い集めて所有することを心の支えとしている人もいます。
新約聖書には「神に誓ってはいけない」と書かれています。この解釈は、「畏(おそ)れ多い神を安易に誓いの対象に使ってはいけない」という意味だと思います。
心のしがらみから開放されるために、「心の中での賭け」をやめ、平穏なこころを得られてはいかがでしょうか。

それでは、また。