現代生活に限らず、原始時代から「生きる」ということには、不安はつきものでした。特に、原始時代では常に命が危険にさらされていたため、ただならぬ緊張感が要求されたと思います。複雑な現代社会においては、不安な気持ちを必要以上に感じてしまう心配性の人や、逆に不安をバネにして、大きく飛躍する人もいます。
不安とは未知の物事を目の前にしたときに起こる感情です。誰しも、未知の物事には不安を感じます。また、見通しのきかない未来に対しても、不安をいだく場合があります。
徒競走の100m(50m)走のスタート地点では、誰しも不安な気持ちになり、心臓がドキドキします。このとき、不安と期待が入り混じった気持ちになります。
未知の物事を目の前にすると、理解不能のために、頭が多少混乱し、不快を感じます。だから、人は未知の物事をなくし、この不快な気持ちを解消するために「知りたい」という感情が働くのだと思います。「知りたい」という欲求は人が生きていく上で、自然な欲求であり、これにより向上心も生まれます。
未知の物への不安を逆手にとった「霊感商法」などの悪徳商法があります。これは恥ずべき行為だと思います。
未知のものの代表的なものに「幽霊」があります。私は幽霊は存在すると思います。霊感の鋭い人の中には幽霊の見える人がいます。ただ、幽霊は基本的には生きている人間に危害を加えることはありませんし、ましてや人間を殺すこともできません。幽霊には幽霊のしたいことがあります。放っておくのが一番いいです。
私は宗教についてもある程度の知識があります。キリスト教と仏教は、目指すところは一緒です。ただ、その教えには、神の視点から見ているか、人間の視点から見ているかの違いがあります。宗教を実践する人は、その教えを守り、実行するという純真さがあります。ただし、私のように教団に所属していない人間の方が、自由に考えることができ、客観的に見ることができます。例えば、イエス・キリストは本当は12月25日ではなく、実際には秋に生まれたようです。これは、聖書に書かれている背景からわかります。12月25日というのは冬至に近く、キリスト教が太陽信仰の宗教の影響を受けた時代に、その太陽信仰の宗教での1年の始まりの日である12月25日をイエス・キリストの誕生日としたそうです。でも、クリスチャンの友人にこのことを言っても受け入れてもらえませんでした。純真ですね。
不安な気持ちになったときは、大きく深呼吸をするのが効果的です。深呼吸をするときは、まずは大きく息を吐きます。不安な気持ちになったときや、極度に緊張感が高まったときは、呼吸が浅く速くなっています。呼吸は心と体と繋いでいます。呼吸のリズムが乱れると、より、不安が大きくなってしまいます。

それでは、また。