Mr.ブラボーの幸せになるこころの法則

Mr.ブラボーはこころの幸せについて、いつも考えています。お金や物も大切ですが、Mr.ブラボーは「こころの幸せ」が真の幸せだと考えています。このブログは宗教とは関係ありません。ブログの更新は、毎週水曜日の予定です。 この処方箋がみなさんの心の健康にお役に立てば幸いです。初めてこのブログをお読み下さる方は最初にこちらをお読み下さい。

ダンス!ダンス!ダンス!

 村上春樹の小説に「ダンス・ダンス・ダンス」という題名のものがありました。
私もかなり昔に読んだので、内容は忘れてしまいましたが、「事の有意義か否かは考えずに、とにかく踊り続けろ」という意味だったと思います。
 私たちの日常生活では、無駄と思える行動や行為がかなりあると思います。私なりには、その行動や行為が建設的であれば、無駄ではなく有意義に思えるのですが、その行為そのものが楽しく思えれば、それはその人にとっては有意義なものなんだと思います。
 私は最近、スマートホンでのゲーム(特に反射神経ゲーム)をやりません。ゲームをやって頭を鍛えたり、頭の老化防止に役立てるのが目的なら有意義かと思いますが、私ならその時間を使って読書をしたり、情報を収集します。
 私は趣味でトランペットやコルネットを演奏しますが、演奏することは私にとっては楽しいものです。楽器の演奏自体は建設的なものではありませんが、より良い音を出せるように練習したり、もっと上手く表現できるように練習することは、建設的なことだと思います。
 私たちは人間ですが、動物の一員であり生き物です。生きるためには体を鍛えたり、運動する必要があります。そのように考えると一見無駄だと思えるようなダンスでさえ、有意義な事かもしれません。なにしろ、体を動かすことは楽しいです。
 心と体が喜ぶことは、生命にとって良いことなんだと思います。

それでは、また。

今月の曲
「風の便り」(オリジナル)

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吸収することについて

 今日のテーマは「吸収することについて」です。
この「吸収する」とは、知識等を吸収する意味ではなく、物事を行うときに「自分がクッションになる」の意味です。
 仕事をしているときは、部下が上司にいろいろなことを報告します。報告で大切なことは、「事実」と「自分の意見」を明確に分けて、事実のみを報告することです。意見は報告事項とは別に述べます。ただ、事実のすべてを報告するのではなく、別に隠すわけではないのですが、自分がクッションになって枝葉の部分を処理して、幹の部分のみを報告する場合があります。
 先日、家庭のエアコンが老朽化して、買い替えを行うために私が電気店に行きました。そのエアコンは広告(ちらし)には24回払い分割手数料無料と書かれていました。妻は24回払いの分割手数料が無料ならば買うと言っていました。電気店に行ってみると、店員さんが「今は1万円引きのキャンペーンを行っているので12回払いまでしか手数料が無料になりません」と言いました。そこで私は店員さんに広告(ちらし)を見せて、「1万円引きはいらないので、広告のとおり24回払いの手数料を無料にしてください」と交渉しました。交渉は成立しました。
 その日は妻に、そのような交渉があったことは伝えなかったのですが、後で伝えました。このようなことが「自分がクッションになる」ことだと思います。
 古い演歌で森進一の「おふくろさん」という歌の歌詞には「世の中の傘になる」という表現がありました。これもある意味「クッションになる」ことだと思います。
 自分がよいクッションになって、家庭や仕事がうまく回ると、自己満足ではありませんが、充実感を感じます。

それでは、また。

今月の曲
「悲しいほどお天気」(オリジナル)

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良い子、悪い子、普通の子

 以前、萩本欽一さんのテレビ番組で「欽ドン!良い子悪い子普通の子」という番組がありました。
私が学生の頃のテレビ番組で(私の年齢がわかる?)視聴者から寄せられたハガキを元に、寸劇調で演じられており、毎週楽しんで観ておりました。
 今回はこの「良い、悪い、普通」に着目したいと思います。
キリスト教の世界では「普通」が存在せずに「良い」と「悪い」しかありません。ともすると、人はこの「普通」を見落としがちです。仏教の世界には「普通」が存在します。というのは、キリスト教の世界(キリスト教徒の方、一方的に決め付けてしまいました。反論があれば謝ります。)では、神の視点から見た世界であり、中間が存在しないのです。
仏教の世界は人間の視点から見た、自然界そのものの世界なので、「中間」である「普通」が無数に存在します。無数というのは「良い」に近い「普通」から「悪い」に近い「普通」まであり、色に例えるならば、「良い」を「白」として、「悪い」を「黒」とするならば、「白」に近い「灰色(グレー)」から「黒」に近い「灰色」まで、その階調は3000色にも及びます。これは仏教で言う「一念三千」に通じます。
(ちなみに、私は現在、仏教の宗教団体には所属しておりません。) 
 とかく西洋人は白黒を付けたがります。これはキリスト教の影響なのかもしれません。日本人は古来より仏教(東洋思想)の影響を受けているのか、「和」を尊び、あまり白黒を付けたがりません。(最近の若い方は国際社会の影響か、西洋的な考えの方も多数いらっしゃいますが。)
 私が今回言いたい事は、我々が最初に目指すべきなのは「普通」だと思う事です。「普通」まで達していないのに、いきなり「良い」を目指すとその反動で「悪い」に向かってしまいます。
また、人々が一番、満足感、幸福感を感じるのは、安定した「普通」の状態です。
世の中はめまぐるしく変わっています。古来からの方法に固執して、変化に対応できないと生きて行きにくい世の中にもなってきています。リスクをとらない方が、リスクが高くなる場合もあります。そんな世の中でも、バランスを取る「普通」が重要なのは普遍な事かと思います。

それでは、また。

今月の曲

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